今月の花(十二月)寒木瓜
本来は別の季節のものでも冬や寒とつけば冬の季語として存在する植物があります。たとえば寒椿、冬薔薇、寒木瓜などです。 この季節は実をつける植物は多いのですが、一方花木は少なく、そんな中、寒木瓜(冬木瓜)の花は鮮やかな色でいけばなに賑やかな雰囲気をもちこんでくれる大切な花材のひとつです。
国賓として来日するゴルバチョフ大統領夫人に、いけばなのデモンストレーションをお目にかけることになったのはもうずいぶん昔になります。
観客にむかって何もないところから花材をいけていき、作品が出来上がっていく過程をみせる、というデモンストレーションを大先輩の師範がなさることになりました。夫人の分刻みのスケジュールと聞いた大先輩はいけることに専念したいということで、若かった私が説明係となりました。ゴルバチョフ夫人は、季節の花材を使った作品が次々といけられていくのを、VIPをお迎えする部屋のソファーでくつろいだ様子でご覧になっていました。
木瓜が登場した時、夫人は身を乗り出し(これはなんという花ですか?)と質問をなさり、すぐにロシア語通訳から名前が伝えられました。花の色は淡紅のほか白、紅白の咲き分けのものもあること、いける時は棘に気をつけてーーなどと説明したと記憶しています。花屋がここぞと用意したその木瓜は枝も太く、何より緋色の大きな花は生命感にあふれていました。
会が終わり、夫人のあとから大先輩をはじめ、通訳と私がイヤホーンをつけたSPとエレベーターに乗り込みました。扉が閉まるとライサ夫人が、もう一度あの赤い花の名前を日本語で知りたいというので、(ぼ、け!)私はゆっくりと発音しました。下降するエレベーターの壁に少し寄りかかりながら、ライザ夫人は( ぼ、け。ぼ、け。)と自分の胸にしまいこむように二回繰り返しました。
エレベーターが一階に到着し、扉が開きました。玄関のガラスの向こうにいた警護のSPたちは、夫人を確認したとたん、はじけるように夫人の乗る車の周りを取り囲み低い姿勢で、集まった人々と四方に鋭い視線を走らたのです。夫人の表情は公の人となり、車は警備の車と白バイを先頭にして一時交通遮断された大通りに消えていきました。
夫人の訃報が伝わったのはそれから何年もたっていなかったのではないでしょうか。
今、私も海外からの国賓をはじめ大事なお客様にデモンストレーションをする機会をいただくことがあります。多忙な滞在中、植物の力を借りて少しでもほっとする時間を楽しんでいただけたらーーと願うとき、あのライザ夫人の緋色の木瓜を思い出すのです。
以上の文章を書いて十年が過ぎ、ライザ夫人を本部の会館にお迎えしたのはまたその何十年も前の事になります。
今年の八月、夫君のゴルバチョフ氏もなくなりました。なくなる数年前のゴルバチョフ氏のドキュメンタリーが放映され一種の感慨をもって私は見ていました。
少し不自由になった体、周りを支えるご家族など。それでも声ははっきりとしていました。今ではライサ夫人の傍らで永遠の眠りについています。
こんなバカなことは、一刻も早くやめるべきーーウクライナ侵攻が始まった二月以来そう言っていたといわれるゴルバチョフ氏が、もう少し元気で生きていたら、たとえわずかでも世界は違った方向に進んでいたのではなかろうかと思います。
ついこの間の事、数十年前夫人をお迎えした、まさにその会館の日本間に私は他の花材とともに 寒木瓜をいけました。花は小ぶりで、白い花びらに薄いピンクが時折混じる優し気な更紗木瓜です。
あの真っ赤な華やかな寒木瓜が、夫人の一瞬解き放たれたようなリラックした表情とともに記憶の底からうかびあがり、過ぎた年月の長さを改めて実感したのでした。(光加)